昼下がりのオフィス。事務のおばちゃんがスマホを凝視してオーバーアクション気味でスクロールしている。今にも海を越えていきそうなスクロール操作に目を奪われたが、今日中に処理しておきたかった事務処理があったため、全盛期の川口能活並みに手を左右に振って「もっと右!いや半歩左!!」と心で叫びながらモニタという壁を動かし、おばちゃんのスクロール操作が視界に入らないように隙間ない壁を作り上げた。
気怠く事務作業をこなしながらメールに目をやると、情シスフォルダが999件から1000件に変わったところだった。1000件という切りのいい数字に一瞬気持ちが弾んだが、それと同時に開封しなくてもいいメールがこんなにも大量に送られてくることに、スパムメールよりタチが悪いと思い一気にテンションが下がった。
情シスフォルダとは、オレがOutlookに作った受信フォルダだ。宛先が自分ではないメールで、主にCCで届く情シス内での報告メールが振り分けられる。「PCのキッティング終わったぜ」とか「HUBを交換したぜ」、なんなら「〇〇システムにログインできることを確認したよ」的なメールが、田んぼ近くに大量に発生している虫並みに払い切れない数で飛んでくるため、殺虫剤を振り撒くか迷惑メールに振り分けるか悩んだ挙句、情シスというフォルダを作って○○ホイホイを設置して放置していた。内容も何もない無機質な不燃ゴミと化したメールを送ってくるくらいなら、問合せ一覧のようなものを作って問合せ内容と対応内容、そしてステータスを入力してくれればこんな埋立地のようなフォルダを用意する必要もなかったのだ。
ゴミメールが1000件を突破したことを記念してコーヒーでも飲もうと自販機に向かう途中、突き当りから声が聞こえてきた。
営業「昨日大変だったんですよ~。発注システムが止まってしまって顧客からもクレームが―。」
オレ「(発注システム?システムでそんな連絡あったか!?)」
「止まる」という言葉に過剰反応してしまうオレは、コーヒーを買ってすぐに席に戻り調査を開始した。埋立地「情シス」で昨日の日付のメールを漁っていると、どうやら新人がいくつかのメールを送っていた。
情シス 各位
お疲れ様です。新人です。現在、発注システムからの発注ができないと営業部から問合せがありました。老兵さんと連絡が取れて確認したところ、現在対応中とのことで老兵さんに対応を引き継ぎました。
よろしくお願いいたします。
情シス 新人
新人のメールより
どうやら新人が対応していたようだ。こんな感じで進捗状況やらなんやらが事細かく報告されていた。いつぶりか分からないくらいに埋立地に訪れたが、想像以上に大量のゴミメールで埋め尽くされていた。もはや埋立地というより廃棄場にあるゴミメールを前に途方に暮れていると、ふと新人が老兵に注意を受けていた時のことを思い出した。ある日のこと、新人が問合せを受けた時にひとりで解決したのだが、どうやらうちの会社ならではの変態的な対応が必要だったようだ。結果としては二度手間となってしまったため、問合せと対応内容は逐一報告して欲しいと注意を受けていた。そのため、新人も不服な表情を浮かべながら埋立地の作業にIT土方として参画することになってしまった。
ふと我に返り、昨日のメールにフィルタをかけて分別されたゴミメールの確認を進めていくと、昨日の障害がどういったものだったかは分かってきた。「大変だな~」と心の中では呟くが、その声とは裏腹にワクワクしながらメールを読み進めていく。新人も誰に確認していいのか分からず、関係しそうな人を宛先に入れてメールを送っていた。当然のことだが発注システムの停止と聞いたらオレだって正常な精神では居られない。すると老兵からの返信で、ある文言が目に飛び込んできた。
―発注システムの障害は、昨日の私のメールを確認してください。―
老兵のメールより
オレ「!!!!!」
そんなメールに見覚えはなかった。慌てて自分のメールを確認していく。ゴミ山も再度確認したが、今回の老兵が言っているメールは見当たらなかった。オレはメールを見落とした可能性があることが不安になり、翌日新人が出社してきたタイミングでメールのことを確認した。
オレ「昨日は大変だったね。」
新人「はい。知らなかったのでいろいろな人に連絡してしまいました。」
オレ「(そんなことより)あのメールって届いてないよね?」
新人「はい。自分は届いていませんでした。」
オレのことしか考えていないオレは、自分に過失がないことを知ってようやく新人に意識が向いた。たしかに今回の件は、(オレと)新人には全く非がなかったのでいたたまれなかったが、労いの言葉もかけられずに昨日の話が終わると、事務のおばちゃんが新人に話しかけた。
事務「昨日のメールもそうなんだけど、メールをもう少しまとめた方がいいよ。」
新人「すみません。」
事務「担当者以外にも送っていたから注意してね。」
新人「・・・。」
事務「そこは感覚で覚えていくしかないかな。」
そもそも誰が担当者なのか分からない部署で、担当者以外という条件は成立しない。しかしこいつらは長嶋茂雄監督のように「スーっと来たらガンっと打つ」みたいに、最後には「感覚」という言葉で片付けていくから凡人には理解ができない。そして長嶋茂雄おばちゃんのレクチャーは続く。
事務「報告も、電源のOFF/ONで済んだようなものは送らなくてもいいよ。」
オレ「(ん〜どうでしょう〜)」
長嶋茂雄のマネでエアー疑問符を投げながら、逐一報告しろと言ったり、報告するなと言ったりするこいつらの「感覚」が分からなくなっていた。「If true」で「else」を通るような環境に、プログラマだったら発狂するか、黙って退職届を置いて消えてしまうだろう。オレなら間違いなく後者だ。このまま長嶋茂雄おばちゃんを放って置いたら松井にかけた言葉を言い放つだろう。
事務「新人君にはもっとオーロラを出してほしい。」
「巨人軍は永久に不滅です!!」と心の中で叫び、もはやロジック云々の世界ではなくなってきたところで、新人が耐え切れずに反論口調で提案した。
新人「それなら、問合せ一覧とか作った方がいいですか?」
虚を突かれたおばちゃんは少し驚いたように固まっている。対応の報告を必要とする人がいる。しかし必要としない人もいる。それなら問合せ一覧を作って必要な人が見ればいいというのは、オレとしては当然の成り行きのように思えた。
オレ「(はっ!!またやってしまったか。。。)」
常識に吸い込まれそうになっていた自分に気付きすぐに自制本能が働く。新人がまた当たり前のことを言ってしまったのだ。自分の指導不足を後悔してももう遅い。最近は職場にも慣れてきている様子だったため一人で考えて仕事をさせてしまっていた。言い訳にしかならないがオレも油断していたのだ。新人の理解力や適応力は決して悪いものではなかった。むしろうちの会社でなければ評価されている方だ。でもうちはそこらへんの会社ではない。レジェンドクラスの天才が集まるうちの会社では新人もただの凡人でしかなかった。
事務「問合せ一覧??・・・新しいことをやるのは余計に大変になっちゃうから―。」
オレにとっては新しいことでも何でもなく、古くからあってどこでもやっているやり方だと思っていた。むしろ、問合せフォームから依頼して、ワークフローで順次処理していくのが当たり前で、問合せ一覧を作るのは退化でしかなかった。しかしうちの会社のように長嶋茂雄の全盛期で止まっているような会社では、問合せ一覧ですらハイカラだと思われて邪なものに見られてしまう。
事務「とりあえず情報が埋もれちゃうから内容は選択してね。さじ加減は感覚で覚えていって。」
新人は途方に暮れていた。何か言いたそうだったが「諦めろ!」と念を送った。そもそもシステム障害のメールは新人には届いていない。新人も自分にはメールが届いていないことを確認していたが誰からも回答は来ていない。そして情報が埋もれるから、あまりメールを送るなと注意を受ける。オレからしたらシステム障害の情報が共有されていなかった方が重大だと思っているが、そこを問い質したところで無駄に労力を使うだけなのは分かっていたため、今は少なくとも埋もれてしまうかもしれないが情報共有をしていた新人をフォローしようとメールを打った。
新人
お疲れ様です。オレです。情報共有が「漏れる」ことより、「埋もれる」情報の方がうちの会社にとっては緊急性が高い。なぜだか分かるか?常識で考えるな!「漏れる」と「埋もれる」。心の中で復唱し続けろ。そうだ。分かったか?「もれる」と「うもれる」。「漏れる」と「う漏れる」。「漏れる」と「う!漏れる!」。そうだ!!「う!漏れる!」方がどうやっても緊急性が高いんだ!昨日の障害対応で疲れているところ悪いが、新人はまだうちのレジェンドたちと仕事をするのは早かったかもしれない。オレの仕事を手伝いながらレジェンドたちと仕事をしていこう。
オレみたいな凡人とはやりたくないかもしれないがよろしくな。
オレ
オレのメールより
新人が来てから注意ばかりしてきたオレだったが、こうやってフォローするのは初めてだった。自分でも「オレって良い先輩だな〜」と自己満足に浸っていたが、このメールの直後から一週間、新人がオレと目を合わせることはなかった。
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