金曜日の昼過ぎ、アホな上司が「今週中にお願い」と言っていきなり仕事を渡してきた。部下の管理なんてできないやつだから、相手の作業量や気持ちを考えられないのは仕方がないのだが、「これでいいのだ」と今にも言い出しそうなバカな顔が不必要にオレを苛立たせる。フロア全員に気付かれるくらいの殺気を放ちながら仕事をしていると、変な顔したやつの変な声が聞こえてきた。
先輩「うぅ、わから・・・からない。」
ただでさえイラついているのに寝ている時に飛んでくる蚊のようにウザいこいつは、わからないことがあると「わからないわからない」と独り言をぶんぶん言いながらオレらの周りを飛び回る。蚊のようにバチンと潰せればいいが、そんなことはできないため全身にムシを塗りまくって激しい痒みに耐えている。今日もあるシステムの設定でわからないことがあったようで、散らかった自分の知識を箒で掃きながら、埃をたてるようにして無駄な知識をまき散らしていた。
先輩「なんでこの認証方式なんだろう?LDAPじゃないのかな?」
先輩の術式は、あの最強呪術師である五條悟にも匹敵する「無知限呪術」だ。五條悟と同じこの「止める力」は、あらゆる言葉や知識を無効にしてしまう。先輩に対して発せられるすべての口撃は、正解に近づけば近づくほど無効化され、結果として先輩に言いたいことは届かなくなる。限りない無知の前では、あらゆる助言やスキルは無力なのだ。例えばオレが「LDAPは社内ネットワークの話ですよ。そのシステムはクラウドですよね?」と言おうものなら、「じゃーあっちのシステムの認証方法とは何が違うんだろう?」とか、「その認証方法でいいの?」と言ってLDAPの是非から認証そのものの話になり会話から脱することができなくなる。
先輩「ベンダーになんて返そう?」
先輩「これ本当にいいのかな?」
先輩「わからないんだよな〜。」
先輩の攻撃は続く。この術式順転・アホは、アホみたいな独り言をつぶやいて相手を引き寄せる技だ。LDAPの仕組みも分からない先輩が、ちょっとググって調べた知識で「知ってるぜ〜スマートだろ〜」的に話すものだから周りはついついツッコミたくなってしまう。この強力な引力に耐え切れるのはオレくらいであり、一般の人間ではまず耐えられない。早速耐え切れなくなった派遣が応戦した。
派遣「大丈夫ですか?」
先輩「うーん。どうしてこの認証方法にしたのかわからなくて。」
派遣「認証方法はベンダーに任せればいいんじゃないですか?ベンダーはただ報告してきているだけですよね?」
先輩「いや、そうなんだけど、それでいいのかわからないのに『わかりました』とは返信できないじゃないですか。」
派遣「ま、まぁそうですね。」
そして今度は術式反転・バカを放つ。バカもその名の通り、バカみたいな論点で相手を弾き出す技だ。心配して話しかけてきた人の意見など聞かず、自己顕示欲を満たすためだけの主張を繰り広げて相手を弾き飛ばす。さすがのオレでもこれを喰らったらただでは済まない。過去に何度かくらってしまった時は、「お前馬鹿なの?」と言いそうになるのを堪えるのに必死だった。
先輩「勉強しなきゃついていけないな〜。」
続けて虚式・ムイシキも放って、周りの人間すべての頭の中が「?(はてな)」で埋め尽くされた。ムイシキは、話の論点を原子レベルでズラすことにより、無意識のうちに目的から遠ざけて押し出す技だ。くらった人間は「あれ?何で悩んでたんだ?」とか、「この人は何がしたいんだ?」となって一瞬で会話の目的を見失ってしまう。ベンダーに任せればいいだけの話を、自分が理解できていないから返信できないと言い出し、返信に悩んでいるのか自分のスキルの低さを悩んでいるのか分からなくさせてしまうのだ。
先輩「もう少し調べてから返信しよう。」
オレ「(マジか!!ここで領域展開!?ヤバすぎる!!)」
先輩の領域「無能空処」が展開された。先輩の家系である「無条家」の中でも限られた呪術師にしか知らされていない最恐の技だ。天性の無知をもった先輩だからこそ為せるこの技は、結界内をありとあらゆる「無駄」で埋め尽くし一瞬で相手の思考を崩壊させてしまう。「ベンダーの作業に文句を言いたいの?」「認証について調べたいの?」「馬鹿なの?」と脳が無駄で埋め尽くされていく。何もわかっていない先輩が認証について調べたら何年かかるかわからない。そのうちコンピューター言語がわからないとか言い出すかもしれない。意識が飛びそうになって新人の方を見ると、何やらエディタに猛烈な速さで文字を打ち込んでいる。
新人「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ー!!!!!」
新人のスタンド「ザ・ワールド」によって先輩の領域が破壊された。無条家とも互角に渡り合える空条家の子孫である新人に助けられ、意識が朦朧とした中で先輩の声が聞こえてきた。
先輩「う〜ん。やっぱりわからないから『わかりました』って返信しよう。」
いつもこうだ。こいつにはわかるわけないのに何故それがわからないのか。わからないことがわからないから手が付けられない。気付けば既に定時を過ぎている。すべてのやる気を削がれたオレは今週中と言われた仕事に嫌々取りかかる。すると上司が先輩のところに来て話し始めた。
先輩「認証方法について調べたんですけど自分にはわかりませんでした。今回はベンダーに任せてそのまま設定させていただきます。」
上司「それで問題ないのだ。」
諦めと脱力感しかないこの職場でオレもバカになろうと固く決心し、休日出勤の申請書を提出してパソコンをシャットダウンした。
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